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ひとつの家の中に、神棚と仏壇があるという世界にも類をみないこの慣習はどこから来たものでしょうか。「神仏に祈る」という言葉も残っています。
平安時代末期より鎌倉時代にかけて末法思想や鎌倉新仏教の広がりによって現世を否定する思想が広がり、実社会と乖離した儀礼中心の政治が打ち続く戦乱によって存亡の危機に立たされると貴族社会を中心に皇室とそれを支える貴族社会の由来を神国思想に求める考え方が出現した。
更にこれに一大変革を与えたのは2度にわたる元寇がいずれも後世「神風」と称される嵐によって撃退されたという出来事である。この嵐が伊勢神宮をはじめとする諸神社によって盛んに行われた異敵調伏の祈祷と成果とする喧伝と実際に戦闘を行った武士達が元軍の集団戦法に苦戦して神への加護を求めていたという事実が、日本を神国とする認識を国内各層に浸透させる事となった。このため、浄土思想・鎌倉新仏教側もこれを取り入れていく方向に変化して行き、神々は仏に従属するとした「仏教の超越性」を唱えていた法華宗を含めて、日本の仏教は神々の加護によって初めて成立しており末法の世を救う教えも日本が神国であるからこそ成立したという主張に転換していく事になる。虎関師錬の『元亨釈書』の「大乗仏教は日本において完成した」という主張はその典型である。
更にこれを「大日本は神国である」という一つのフレーズで言い切ったのが『神皇正統記』の著者・北畠親房である。親房は天照大神の正統な末裔である天皇によって日本という国家が維持されているという主張を簡潔に述べて後世に影響を与えた。
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